山口県宇部市周辺の御朱印めぐり③ ~南方八幡宮・北方八幡宮・古尾八幡宮~

  • 2018年4月23日
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山口県宇部市周辺の御朱印めぐり③ ~南方八幡宮・北方八幡宮・古尾八幡宮~

宇部市西岐波にある南方八幡宮と山口市阿知須にある北方八幡宮。名前に南北がそれぞれ付いているので、何か関係があるのかな?と以前から気になっていました。調べてみると、宇部市東岐波にあるもう一つの神社との関わりが浮かび上がってきました。

南方八幡宮と北方八幡宮は元は1つの神社だった!

創建は奈良時代

宇部市東岐波の海の近くに、古尾八幡宮という神社があります。

創建は751年(天平勝宝3年)とのことで、8世紀半ばの奈良時代になります。こちらの神社が創建された翌年の752年(天平勝宝4年)には、奈良の東大寺の大仏の開眼法要が行われています。今から1,200年以上も前のことです。

古尾八幡宮を氏神様として信仰していた人々は、宇部市西岐波から山口市佐山の辺りという広範囲に及んだようです。そこで、お参りをするのに不便さを感じた地元の人々が話し合って、宇部市西岐波と東岐波は南方八幡宮、山口市阿知須や佐山は北方八幡宮と、分社されたのだそうです。1233年(天福元年)、鎌倉時代のことです。

今なら車で移動できるので、あまり不便だと思わない道も、徒歩で行くとなると、時間がとてもかかりそうですよね。なんとなく当時の人々の気持ちが分かるような気がしました。

そうして誕生した南方八幡宮にお参りをしました。

南方八幡宮

南方八幡宮

社殿がとても美しくて素敵です。銅板葺の屋根になったのは昭和40年代のことで、それ以前は檜皮葺の茶色い屋根だったそうです。山口市の瑠璃光寺五重塔の屋根と同じ素材だったのですね。

拝殿と楼門が一体化した構造の社殿は、山口県央の神社に特に多い形式なのだそうです。

また、こちらの神社では東西南北の四方に参道が設けられ、どの方角からでもお参りができるようになっているそうです。この形式は全国的にも珍しいとのことです。

可愛い狛犬

可愛い狛犬01

可愛い狛犬02

可愛い狛犬にも会えます。

狛犬や金剛力士像もそうですが、通常は向かって右側に阿形(あぎょう)という口を開いた像、向かって左側に吽形(うんぎょう)という口を閉じた像が置かれるものなのですが、こちらの神社では、その阿吽の配置が逆になっているのも特徴的です。間違えて置いてしまったというわけではなく、狛犬の向きを見ても、最初から逆の配置になるように作られています。理由はよくわからないそうですが、愛らしい表情をした狛犬を見ていると、とても気持ちが和みます。

北前船と瀬戸内海

石灯籠

参道には石灯籠もたくさん並んでいますが、こちらの灯篭は1814年(文化10年/江戸時代後期)に紀伊国屋太兵衛という商人によって寄進されたものです。紀伊国屋というと、江戸時代の豪商・紀伊国屋文左衛門(1669年?-1734年)が思い浮かびますが、どうも、その子孫の方のようです。

現代のように鉄道も高速道路も飛行機も無い時代なので、船を使って物資を運ぶことは、とても重要でした。

江戸時代には、北前船が誕生し、瀬戸内海は日本海側の物資を大坂に運ぶ物流の大動脈の一部でした。

そこで、商人たちは海の側にある主要な神社に灯篭を奉納して、船の安全な航海を祈願されたのだそうです。

神社にお寺の梵鐘が?

梵鐘

境内に、なんと! 梵鐘がありました。

梵鐘は寺院にあって、大晦日に除夜の鐘をつくイメージがあったのですが…。

宮司さんにお尋ねしたところ、昔は南方八幡宮の近くに弘済寺(曹洞宗)というお寺があったので、その梵鐘が名残として残っているとのことでした。その弘済寺というお寺は、現在は宇部市東岐波丸尾の漁協の近くに移っています。

現在の鐘は4代目

現在の鐘は4代目で、1956年(昭和31年)に氏子の方々によって鋳造されたそうです。

初代の鐘は1587年(天正15年/戦国時代)に弘済寺のお坊さんに盗まれ、船に乗せられて九州へ向かう途中の豊後国佐賀関(現在の大分県)の海上で嵐に遭い、沈没してしまったそうです。悪いことをすると、やっぱりバチが当たりますね…。

2代目の鐘は1636年(寛永13年/江戸時代前期)に野村長左衛門さんによって作られ、その後、経年変化により壊れたらしく、1818年(文政元年)に3代目の鐘が氏子の方により作られました。でも、第2次世界大戦中の1943年(昭和18年)に、武器などを作るために供出されることに…。全国的にお寺の鐘や、他にも金属等は色々と国に供出されていったようです。3代目の鐘は戦後、大分県に残っているという話があったのですが、結局見つからなかったそうです。

空

2代目、3代目の鐘が作られた江戸時代は、地球規模で気温が低い時期にあたるそうで、冷夏や虫の被害による作物の不作が起こったようです。農作物を育てるのに水は不可欠ですが、西岐波周辺には大きな川がなく、ため池や水路を作っていたそうですが、水は土に浸みてしまいやすいので、なかなか水の確保には苦労をされたようです。神社では雨乞いのための御火焚きも行われていたそうです。氏子の方々が鐘を神社に奉納されたのには、豊作を願ってという思いも込められていたのでしょうか。

名称南方八幡宮
所在地山口県宇部市大字西岐波山村後2473-1 地図を見る
電話番号0836-51-2407

北方八幡宮

北方八幡宮

参道に踏切が!

北方八幡宮の参道に踏み切りが

南方八幡宮の兄弟である北方八幡宮は、山口市阿知須にあります。

なんと、参道をJR山陽本線が横切っています。

訪れた時、ちょうど踏切が下りてきて、黄色い車体の電車が山口方面に向かって通り過ぎて行きました。

北方八幡宮の前を走る列車

参道に踏切があるのは、かなりドキドキしますし、ちょっと緊張します。

3つの鳥居

北方八幡宮の3つの鳥居

入口に鳥居が3つ並んでいます。

正面の鳥居の両脇にも鳥居があり、神社に向かってそれぞれ少し斜めに置かれています。

これは、向かって左側が山口市井関、中央が山口市阿知須、右側が山口市佐山に暮らす人々のそれぞれの神社への入口だったのだそうです。

線路が出来た時に、撤去された鳥居が正面の両脇に置かれたのかと思っていたのですが、そうではなくて、古い時代からこういう配置になっていたそうです。

美しい楼門

楼門

社殿の形が南方八幡宮に似ているように思いました。こちらの屋根も昔は檜皮葺だったのでしょうか。

北方八幡宮の社殿は、幾度か建て直されています。最初の社殿が1408年(応永15年/室町時代)に焼失。大内氏第26代当主・大内盛見(1377年-1431年)によって、1410年(応永17年)より再建が行われ、楼門以外は完成したそうです。その後、大内氏は第31代当主・大内義隆(1507年-1551年)の自害により滅亡し、後に毛利氏の支配下におかれた中で、氏子の方々が毛利氏の家臣・市川経好(1520年-1584年)に楼門を造ることを嘆願し、1571年(元亀2年/戦国時代)に許可されたのだそうです。

その後、江戸時代にも再建・改修をされ、2010年(平成22年)にも改修工事がされており、現在に至っているようです。

社殿や楼門の雰囲気は、山口市内にある神社に似ているように思います。やはり大内氏の影響が大きいのかもしれません。

砲弾が奉納されている…

奉納された日清戦争の砲弾

境内には、なんと砲弾爆弾が奉納されていました。明治27年(1894年)~明治28年(1895年)にあった日清戦争と関わっているのだとか。

名称北方八幡宮
所在地山口市阿知須1496-2 地図を見る
電話番号0836-65-2202
ホームページhttp://kitagata-h.org

古尾八幡宮

最後に古尾八幡宮を訪れました。境内がとても広いです。下は砂地です。海が近いです。

古尾八幡宮

東岐波の地に八幡宮を再び…

1233年(天福元年/鎌倉時代)南方八幡宮と北方八幡宮に分社された後、現在の西岐波と東岐波の人々は岐波村として南方八幡宮にお参りしていたそうですが、1879年(明治12年)に岐波村が東西に分かれた時に、東岐波の人々が、もともと古尾八幡宮があった東岐波に八幡宮を…ということになり、1886年(明治19年)に以前から東岐波にあった稲荷社に八幡宮を勧請し、合祀したそうです。しかし、明治時代は政府の方針により神社の統合が行われ、神社の数が減らされた時代だったので、八幡宮という名前を使うことができなかったのだそうです。それから、1909年(明治42年)になって、豊浦郡内日村(下関市)の大河内八幡宮を勧請することとなり、東岐波に待望の古尾八幡宮が復活したのだそうです。

拝殿の正面が赤いのはなぜ?

拝殿の正面が赤い

古尾八幡宮の社殿は、拝殿の正面や神殿の一部分が朱色になっています。これは、古尾八幡宮と稲荷社が合祀されているということを表しているのだそうです。そういえば、お稲荷さんが祀られている神社は、朱色になっている場合が多いですよね。

名称古尾八幡宮
所在地山口県宇部市大字東岐波1450番地の4 地図を見る
電話番号0836-58-2654
ホームページhttp://furuo.net

南方八幡宮と北方八幡宮と古尾八幡宮の御朱印

南方八幡宮と北方八幡宮と古尾八幡宮の御朱印

南方八幡宮と北方八幡宮と古尾八幡宮の御朱印を3つ続けて頂くことができました。こうして並べてみると、様式が同じように感じます。

宮司さんが社務所にいらっしゃらない場合は、そばにご自宅があるので、そちらを訪ねられると御朱印を頂くことができると思います。遠方からの方など、日を改めにくい方は、あらかじめ連絡をされてから訪れた方が良いかもしれません。

お立ち寄りスポット♪ 天然酵母・パン工房 みなみ風

天然酵母・パン工房 みなみ風

天然酵母・パン工房 みなみ風

宇部市東岐波の海のそばの閑静な住宅街に、とても素敵なパン屋さんがあります。

天然酵母・パン工房 みなみ風さんです。

週末の金曜日・土曜日・日曜日にオープンしているパン屋さんです。

お店の入口には可愛らしいオブジェが♡

天然酵母・パン工房 みなみ風 入口のオブジェ

亀さんがベーグルの上に乗っています! 近くではウサギさんが居眠り中!!

陽光が差し込む明るい店内

天然酵母・パン工房 みなみ風の店内

店内は陽の光が差し込んできて、とても明るく気持ちの良い空間です。

オーナーさんご夫婦は、とても気さくで優しい方で、訪れるお客様とのコミュニケーションを楽しまれていらっしゃいました。

国道から離れている場所ながら、開店直後からお客さんが絶えず訪れていました。まさに知る人ぞ知る海辺のパン屋さん!という印象です。

もちもち食感♡ 100%天然酵母のパン!

100%天然酵母のパン

すべてのパンは100%の天然酵母を使用されていて、小麦粉は北海道・美瑛産、お砂糖は砂糖大根から作られるてんさい糖というように、原材料も国産のものを使用し、無添加で身体に安心なパン作りを心がけていらっしゃるそうです。

オーナーさんのおすすめは食パンで、小麦の味が一番分かるからだそうです。ベーグルのフレーバーは、いろいろな組み合わせがあり、オーナーさんの想像力の豊かさとパンへの愛情がとても感じられます。季節限定メニューのパンもあるので、何度訪れても、その時々のパンとの出会いを楽しめそうですね♪

ホームページで毎月のメニューも更新されるので要チェックです!

トーストして食べるのがオススメ

ベーグルの食べ方は、横半分にスライスしてトーストすると良いそうですよ。もちもち食感のベーグルがサクサクになりました♡

海が綺麗です

天然酵母・パン工房 みなみ風ちかくの海

お店の近くには、海が良く見える場所があります。宇部市東岐波や西岐波には、キワラビーチや白土海水浴場など、海水浴が楽しめる砂浜もありますが、こちらは砂利と岩場が続いている海です。

天然酵母・パン工房 みなみ風ちかくの海2

水平線上に島と陸のシルエットが浮かびます。左側の小さな影は大分県の姫島、その右側に見えるのが国東半島です。

そうそう、先に訪れた南方八幡宮の梵鐘は、船に乗せられて豊後国(大分県)に向かったのでしたね…。実際に海岸に来てみると、予想外に大分県との距離を近くに感じました。静かで穏やかな時間が流れるこの瀬戸内の海を、太古の昔から人々が行き交っていたと思うと、本当に不思議な気持ちです。

店名天然酵母・パン工房 みなみ風
所在地山口県宇部市東岐波4659 地図を見る
電話番号0836-58-3350
営業時間12:00~17:30(売り切れ次第閉店)
店休日月・火・水・木曜日
ホームページhttp://www.minami-kaze.info

おわりに

宇部市東部、西岐波や東岐波は海水浴場もあり、海が良く見えます。海を眺めながら落ち着いた気持ちで過ごせるカフェやレストランもありますよ。

ゆったり、のんびり過ごしたい気分の時に訪れてみるのもオススメですよ。

今回ご紹介したパン屋さんは売り切れ次第閉店という人気のお店なので、開店直後に訪れた方が良いかもしれません!

参考文献
・『宇部ふるさと歴史散歩』黒木 甫/著(発行:宇部時報社/1994年)
・『うべ歴史発見』(発行:株式会社 宇部時報社/2002年)

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